【新共通テスト記述式】NHK時論公論(9月8日付早川信夫解説委員)を批判する

NHK時論公論で大学入試改革の話題が取り上げられた。しかし、この記事は、本ブログで批判してきた朝日新聞およびその編集委員 氏岡真弓氏と読売新聞の記事と比べてもはるかに行き過ぎた表現や粗雑な分析を行う低劣なものであったと言わざるを得ない。今回の記事では、この「時論公論」の内容を取り上げて具体的に批判したい。

 [参考] 朝日記事と読売記事についての本ブログにおける批判

 

対象は難関大学を対象にした改革

まず、この時論公論の射程について次のように言及があることから見ておこう。

 大学入試改革と一口で言っても、受験生に人気があって偏差値が高いブランド型の難関大学誰でも入りやすい大衆型の大学とでは事情が違います。今回は、難関大学を対象にした改革に絞って考えます。焦点となっている記述式問題と英語の議論がどこまで進んだのか、実施にあたってどんな日程案が浮上しているのか、そして、今後どう議論すればよいのか、この3点を取り上げます。

 そもそも「受験生に人気があって偏差値が高いブランド型の難関大学」と「誰でも入りやすい大衆型の大学」という区分けが決して妥当なものであるとは思われないのだが、それ以上に、この論説では、「難関大学を対象にした改革に絞って」と限定されていることに注目しておく。これは少なくとも国公立大学や上位私立大学が念頭に置かれていると考えるべきであろう。この観点で、以下の記述に整合性や妥当性があるか見ていきたい。

事実をミスリードする記述

では、記述式問題をめぐる議論はどうなっているのでしょうか。
3つの案が浮上しています。
1つめは、これまでのセンター試験と同じ日程で行い、センターが一括して採点する方式です。混乱の少ない方式ですが、採点期間が短いために、記述式とは言っても短い回答しか求められない限界があり、考える力を測ったことになるのかが課題です。
2つめは、実施時期を12月に前倒しし、こちらもセンターが一括して採点する方式です。採点期間を長く取れる代わりに高校の授業内容をこなしきれないうちに試験となってしまうため、影響が大き過ぎると高校側が反対しています。
これら2つの案で行き詰っているところに、大学側から新たな提案が出されました。それが3つめの案です。実施時期は変えずに、採点を各大学が行い、2次試験の成績に反映させるとする案です。考える力を測るには数十字程度の短い答えでは中途半端すぎると第1の案を退ける形で提案されたものです。ただ、この案は、受験生が大学選びの参考にする1次試験の成績としては評価されないため、受験生にはメリットの少ない形です。また、大学ごとに採点に人手をかける必要に迫られるため現場の理解が得られるかという問題があります。

 文部科学省は3つめの案をもとに議論する考えです。これなら考える力を測るための長い文章を書かせる問題が出題でき、採点にも時間をかけられるとしています。しかし、2次試験の合否判定には使えますが、1次試験の成績としては使えないため、受験生にとってのメリットはあいまいです。3つの案のいずれもが、あちらを立てればこちらが立たずといった状態で、袋小路に入り込んだ形です。大学、高校の都合ばかりが先行して、最近流行りの言葉で言いますと、何が「受験生ファースト」なのか疑問です。

 これまで本ブログでは、朝日新聞の氏岡真弓氏による8/19付の記事に端を発し、読売新聞なども報じてきた新共通テスト記述式問題の採点方法に関する報道において、大学側に採点をゆだねるという方法について極めて一面的で状況をミスリードする報道が相次いでいることを批判してきた。この方法は決してメリットばかりではなく多くのデメリットが掲げられ、しかもどのような方法で行うべきかを国立大学協会は一切明言していないにも関わらず、である。しかしそれらと比較しても上記の記述は、さらに悪質であると言える。

 第一に、これまでの記事同様、大学側が採点するという方法を提案したというミスリードである。国立大学協会は、この方法を採用するよう提案しているわけではなく、現時点での「論点整理」において3つの案について特定の結論を述べるものではないとはっきり明言している。しかもここでは、国立大学協会」という主体を「大学側」と曖昧化している。難関大学に限定しても、公立大学や私立大学でもセンター試験を利用している大学は多い。また国立大学協会の委員会での議論が、必ずしも国立大学の総意とも言い切れない。あくまでも国立大学協会という主体が発表した論点整理であることを、この記事は完全に隠蔽している。

 第二に、国立大学協会の論点整理は、第1の案を「短答式」しか出題できないという理由で「退けている」わけではない。国立大学の論点整理は、この案について、時期と採点期間を現行と同一にするのは困難さが伴うので、成績処理の期間を国立大学2次試験実施直前まで伸ばす別方式を検討対象とすることも考えられるとしているのである*1。この記述は国立大学協会の論点整理の内容を歪曲している。

  第三に、文科省が3番目の大学に採点委ねる方式を軸に検討を進めるということは、公式にはまったく表明されていない。文部科学省の「高大接続改革の進捗状況について」の中では、まだ実施時期を含む全体の制度設計は方式が併記され、各方式に多くの問題点があることを明確に記述している。

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 第四に「受験生へのメリット」の記述の意図が不明確である。現行のセンター試験では、受験性は実際の点数ではなく公表された正答に基づく自己採点をもとに志望大学を決める。これはマークシート式で正答が確定するからである。他方、記述式の試験の場合、いくつかの解答例だけでは正答かどうか受験生側では判定可能とは限らなくなることが予想されるため、この得点も加味して出願先を決めると実際の得点との乖離が生じて2次試験で不利になる可能性もある。難関大学の場合には第一段階選抜を行う学部もあるため、その判定に得点が明確に定まらない試験を混在させる方がかえって受験生にとってリスクである。記述式において実際の点数を受験生に通知してには相当の手間がかかり、しかも現状のマーク式でさえ実際の点数を受験生に通知しているわけではない。そもそも2次試験での合否に活用されるとしたらその出来具合が自分の大学入学のために利用されるのだからメリットがあるのは明らかである。時論公論の記述こそあいまいで意図が不明確である。

 

これらの点は上記でも引用した国立大学協会文部科学省の公表している資料を読めば即座にわかるはずの内容である。早川信夫解説委員はそうした1次資料に十分にあたらずにこの論説を書いているのではないだろうか。これは朝日新聞 編集委員 氏岡真弓氏や読売新聞記事執筆者に共通する問題である。

 

お粗末すぎる提案

上記の記述に続く後半の部分はあまりにもお粗末である。

この入試改革論議、そもそもどこから出てきたのでしょうか。
安倍総理直属の教育再生実行会議が3年前に提言し、動き出したものです。グローバル経済を担う人材の育成のためには、測りやすい知識よりも測りにくいけれど将来役に立つはずの考える力を重視すべきだ、として一点刻みではない入試に転換するよう求めたことが始まりです。議論を引き継いだ文部科学省の専門家会議は、そうした意図を汲んで、1次試験の段階から受験生に考えさせる記述式問題の導入を提言したのです。大学や高校からすると、改革の意義はわかるけれど上から言われてしぶしぶ議論せざるを得なくなった。袋小路に入り込んでしまったのにはそうした事情があります。

とは言え、課題を乗り越える必要があります。どうすればよいのでしょうか。
共通に行う1次試験と各大学が行う2次試験とを切り分ける必要があります。1次試験としてやれることには限界があります。1次試験に何から何まで背負わせるのではなく、求めるような記述式問題は2次試験で大学ごとに行うことにすれば、議論はスッキリします。2次試験で記述式の問題を作るには、大学は研究資金の獲得など別の理由で忙しくなっていて手が回らないと言います。本当によい学生をとりたいなら、そんな泣き言を言っている場合ではありません。1次試験に任せきりにするのではなく、たとえば、志を同じくする大学同士が協力して問題を作り、共通に出題するという知恵を出してもいいはずです。受験生のためを思うなら、上から言われての改革ではなく、大学自身の問題として、自主的に解決を図るべきです。国立、公立、私立を問わず考えてほしい問題です。

一点刻み入試の解消、知識にとどまらない学力という改革の理念はそれなりに理解されるように思います。しかし、あらかじめ決めた工程表に合わせるために制度改革を急ぐのは禁物です。今から30年ほど前、共通一次からセンター試験に切り替わる前後の混乱を取材した経験からしますと、準備不足のまま急ぎ過ぎると、よかれと思って打った手がかえって混乱の原因になりかねません。
密室での限られた議論ではなく、広く知恵を集め、十分に議論を重ねてほしいと思います。混乱することで得をするのは受験産業でしかなく、振り回されるのは受験生だからです。熟慮を求めたいと思います。

第一に、議論が袋小路に入り込んでいるのは、50万人の受験する共通試験において記述式という出題方法を取ることが、実施方法のレベルで非常に難しいことに対する理解がなかったことである。また、国公立や私立上位校では2次試験や自前の入試でそもそも記述式の試験を課しているわけだから、共通試験で記述式を実施する意義やメリットが理解できないという点もある。端的に言って、提言を出す側が実態を無視した議論をしていることが最大の問題である。上の記述はあたかも上に言われてしぶしぶ議論せざるをえなくなった大学側や高校側に責任があるかのように議論をすり替えている

 

第二に、

共通に行う1次試験と各大学が行う2次試験とを切り分ける必要があります。1次試験としてやれることには限界があります。1次試験に何から何まで背負わせるのではなく、求めるような記述式問題は2次試験で大学ごとに行うことにすれば、議論はスッキリします。

という記述は何を言っているのか意味不明である。冒頭で注目したように、今回の論説の中で対象を「難関大学」に限定したはずだ。難関大学は現行制度において、何を1次試験に任せ、何を2次試験で問うかはっきりと区分し、入試を実施しているのである。1次試験では、基盤となる知識やその活用をマークシート式で試験し一定の資格試験として利用している。2次試験では記述式を含む問題でさらに高度な学力を問うている。すでに議論は「スッキリ」しているのである。1次試験に記述式試験を課そうという議論こそ、「1次試験に何から何まで背負わせ」ようとする議論そのものである。

第三に、

2次試験で記述式の問題を作るには、大学は研究資金の獲得など別の理由で忙しくなっていて手が回らないと言います。

という情報の曖昧さである。繰り返すが、本記事の冒頭で注意したように、この論説では、対象を「難関大学」に限定したはずである。難関大学は「手が回らない」のではなく、現に2次試験で十分な量の記述式試験を課している。研究資金獲得などという全く別の理由を持ち出して筋違いの情報を拡散するのは悪質と言わざるを得ない。

むしろ記述式試験を課すのが難しいのはどちらかといえば「誰でも入りやすい大衆型」と自ら冒頭でカテゴライズした私立大学の方である。その理由は明確である。多くの私立大学は入試の複線化にともなって様々な方式での試験を多数実施ている。記述式試験は採点に時間がかかるだけでなく、出題にも時間も人員も必要になる。記述式試験は多くの教員の眼でチェック作業を行わないと出題内容が固定化して偏向してしまったり、出題の内容が独りよがりの客観性を欠いたものになったり、さらには出題ミスをしたりする可能性が高まる。採点においても多数の答案を採点するためには複数の教員が採点基準を統一して臨む必要があり時間がかかる。これらすべての方式の試験で記述式試験を出題しようとすれば膨大な時間と人員が必要になる。要するに全てに記述式試験を課すには試験の回数が多すぎるのである。しかしこの複線化は何回もチャレンジできることという「受験生のメリット」を重視した結果であることは言うまでもない。

 

にも関わらず

本当によい学生をとりたいなら、そんな泣き言を言っている場合ではありません。

などと大学を糾弾する。ありもしない情報をもとに、あたかも大学側に問題があるかのような間違った断定を下す。このような記述の仕方は低劣としか言いようがない。少なくとも「難関大学」の教員たちは良い学生を選抜するために十分な時間を割いて出題や採点を行っているはずであり、そのことになにも「泣き言」など言っていないはずだ。むしろ共通試験の記述式問題というような、出題の意図もよくわからない問題をある日突然見せられて、日数を区切ってお前の大学のアドミッション・ポリシーに従って採点せよなどと言われることが苦痛だと言っているのである。

 

第四に、

1次試験に任せきりにするのではなく、たとえば、志を同じくする大学同士が協力して問題を作り、共通に出題するという知恵を出してもいいはずです。受験生のためを思うなら、上から言われての改革ではなく、大学自身の問題として、自主的に解決を図るべきです。国立、公立、私立を問わず考えてほしい問題です。

などというのはあまりに陳腐だ。「志を同じくする大学」という単語の空疎さ。「共通に出題するという知恵」などという無責任な記述。「大学自身の問題として、自主的に解決を図るべき」などという大学側への帰責論の横暴さ。全く同意できない。

各大学には様々な学部があり、志望する学生の質もさまざまである。それらを「志を同じくする」などという基準でカテゴライズすることにどれほどの困難さがあるか。共通問題で学力を測ることがどれだけ難しいことか。出題や採点には、出題者や採点者が顔を合わせて議論することが不可欠である。それを距離的に離れた大学同士が行うことがどれだけ非効率か。そしてそもそも上で述べたように、現在すでに、2次試験で記述式試験を作問し採点している大学に事実無根の不当な非難と帰責を行うのは全く理不尽というほかはない。

 

 まとめ

 9月8日付のNHK時論公論:袋小路の大学入試改革論議」は、

  • (朝日・読売と続く一連の報道と比較しても明らかに常軌を逸した)事実関係のミスリードと歪曲に満ちている。
  • 現状のセンター試験と2次試験の住み分けなどを十分に理解しないまま曖昧な言説と空疎な提案に終始している。
  • すでに2次試験で十分な量の記述式試験を出題し、採点することによって入学者を選抜している「難関大学」に対して、事実関係を無視した不当な非難を浴びせている。

という点で極めて低劣なものである。早川信夫解説委員には猛省を促したい。

*1:もちろんこれには私立大学の入試にどう利用するかという問題点はある。