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【新共通テスト記述式】2016年9月2日付読売新聞社説を批判する

2016年9月2日の読売新聞に、「大学入試改革 受験生のためになる1月実施」とする社説が掲載された。しかし、この社説の内容は、実際の発表内容をミスリードしかねない非常に悪質なものであると言わざるを得ない。以下、この社説の内容について具体的に批判する。

そのために、文科省が9月1日付けで何を公表したのかという点を明らかにする必要がある。公式の文書は次のものである。

今回の記事では、この文書の内容と9月2日付け読売社説の内容を比較しながら批判する。

公表されたものは何であるのか?

読売社説の冒頭はこうだ。

  受験生の思考力などを的確に評価できる試験にすることが肝要だ。

 大学入試センター試験に代わり、2020年度から導入される新テスト「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」について、文部科学省が大学・高校関係者と検討してきた具体的な実施案を公表した。

 この記述は完全に勇み足であり、文書の内容と全く整合していない。

文科省の公表した文書の中には、

  • 平成28年4月に「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」検討・準備グループを設置し、記述式・英語の実施方法・時期等について検討中。
  • 「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)(以下「新テスト」という。)」検討・準備グループにおいて、平成29年度初頭の実施方針の策定・公表に向け、以下のとおり、記述式や英語の制度設計をはじめとする各論点について検討・整理。
  • 特に、記述式については、教科専門家やテスト理論家等の協力を得て、作問方法と採点方法に関する各検討チームを設け、作問の構造化や採点方法の在り方等について具体化を進めている。

とある。さらにより詳細に

現在、次の三つの案を検討。
【案1】1月に実施し、センターが採点する案
【案2】12月に実施し、センターが採点する案
[1] 記述式とマークシート式を同一日程で実施する案
[2] マークシート式は従来通り1月に実施し、記述式を別日程で実施する案
【案3】1月に実施し、センターがデータを処理し、それを踏まえて各大学が採点する案


※ 【案1】については、採点期間が短期間となるため、精緻な採点が可能かという課題が生じるとともに、出題できる記述式問題の量・質が極めて限定的なものとなる。
※ 【案2の①】に対しては、高等学校教育の影響、運動部活動への影響の観点から、また、【案2の②】については、受験者の負担、実施体制の確保の観点から、関係者
から懸念が示されており、十分な検討が必要。
【案3】は【案1】から派生したものであるが、この案には、出題や採点の幅が広がるメリットがある一方、多くの検討すべき論点・課題もあることから、今後、それ
らについて十分な検討が必要。

 と記述されている。これらの記述をもとに、「具体的な実施案」などと書くのは状況をミスリードするものである。

どの時期に、どのような内容で、だれが採点するのか、現状では全く煮詰まっていないことを意味している。どの案にもメリットとデメリットはあることがはっきり明示されている。特に、大学側に採点を委ねる案には、「多くの検討すべき論点・課題」があるとはっきり記されている。

相変わらず大学側が採点する方法について事実関係や内容をミスリード

にもかかわらず読売社説は次のように言う。

実施案では、出願先の各大学が記述式の採点を担う方式が打ち出された。国立大学協会の提案だ。有効な打開策だろう。採点作業が効率化されるため、センター試験と同じ1月中旬にテストを実施できる。この点はメリットだ。

この記述はほぼすべての記述に問題がある。

第一に、既に指摘したように、今回の文科省が公表したものはあくまでも「進捗状況」に関する報告であり、具体的な実施案でもなければ、大学が記述式問題の採点を担うことを確定したわけでもない。にもかかわらず「実施案」「打ち出された」などの表現を利用して、あたかもこの方式が決定したかのようなミスリードが行われている。

第二に、大学側が記述式問題の採点を行う方法を、国立大学協会が提案したというのは現在のところ明確に誤りである。国立大学協会が8月19日に公表した文書は、

であり、この中で

今回の文書は、表題の通り「論点整理」であって、特定の結論を述べているものではない。

と明確に述べている。従って、この文書で「大学側が記述式の採点を担う方式」が「国立大学協会の提案」であるとと記述するのは明らかに誤りであるというほかはない。これは「有効な打開策」という読売社説執筆者の勝手な判断を既定路線化するためのミスリードであると言わざるを得ない。事実、読売社説の中には、この方式が多くの問題を抱えていることに対する言及が一切ない。これは、国立大学協会の「論点整理」ではもちろんのこと、文科省が公表した「進捗状況について」の文章ですら明確に言及しているにもかかわらずである。

 これら2点は、朝日新聞編集委員 氏岡真弓氏による極めて不可解な先行報道と、「大学側に採点を委ねる方式」の本質的なデメリットを隠ぺいしたまま既定路線化させかねない記事に端を発しており、

でも批判した。

この記事の続編にあたる

 でも取り上げたが、読売新聞も、8月20日付の記事『大学新テスト、英語「話す」で民間試験の活用案』の中で、既に上記の2点に相当する問題のある記述を行っている。

 国大協は記述式の採点を、受験生の出願先の各大学が行う案を示した。(中略)国大協はテストを1月中旬に実施しても、各大学が採点すれば200字~300字程度の記述式が導入できると想定。大学による採点が難しい場合は、採点期間を国立大学前期試験直前の2月下旬まで延長する別の案も示した。

 この記述の時点ですでに読売新聞は、国立大学協会の「論点整理」の内容を踏み越えて、その内容を歪曲して報道していることになる。今回の読売社説は、この記事の内容と符合したものであり、氏岡氏の記事と同様、問題の多い案をあたかも既定路線であるかのようにミスリードする記事であり悪質だと言わざるを得ない。

記述式試験に関する不見識としか言い様ない記述

 読売社説には、新共通テストに関するいくつかの点に関して、明らかに不見識としか思えない記述が散見される。これが第三の論点である。

 実施案では、出願先の各大学が記述式の採点を担う方式が打ち出された。国立大学協会の提案だ。有効な打開策だろう。採点作業が効率化されるため、センター試験と同じ1月中旬にテストを実施できる。この点はメリットだ。

 「採点作業が効率化されるため」とはどういう意味なのか。全く理解しがたい。これは「実施できる」の根拠記述としか読めない。しかし、出願先の各大学が記述式の採点を担うことにより、なぜ採点作業が効率化されるのか、その論理関係が全く理解できないのである。

この記述よりも前に

記述式導入の最大の課題は、採点期間の確保だ。民間委託などで採点した場合、20〜60日かかると試算されている。

との記述もある。大学側が採点すると、何らかの効率化によって、採点期間が短くて済むとでも言うのだろうか?これは、読売社説の執筆者の、この問題に対する見識、あるいはそれ以前に論理的に文章を書く資質にさえ疑問符が付きかねない記述である。

現在のところ採点作業の効率化は、コンピュータによるクラスタリングにかかっているということになっており、そのことは、読売社説のこの文章よりもあとで触れられる内容である。

実施案では、出願先の各大学が記述式の採点を担う方式が打ち出された。国立大学協会の提案だ。有効な打開策だろう。採点作業が効率化されるため、センター試験と同じ1月中旬にテストを実施できる。この点はメリットだ。

 円滑な実施には、明確な採点基準を示すことが大切である。大学側の協力も欠かせない。文科省は教員を中心とした採点者の確保など、各大学の体制整備を支援する必要がある。

 記述式の答案はまず、大学入試センターがコンピューターを用いて、キーワードなどを基に大まかに分類する。その上で、各大学が成績を段階別で評価する方式が想定されている。

 コンピューターなどによるデータ処理技術が向上すれば、大学の負担は軽減されよう。

 出願先が複数にわたる場合の対応や、個別入試の時期が早い私立大との調整も重要になる。来年度に始まる試行テストで課題を検証し、着実な実施につなげたい。

もしかしたら、途中で推敲する際に漏れたのではないかとさえ疑いたくなる記述である。

 さらに、この記述には複数の問題点が潜んでいる。

まず「コンピューターによるデータ処理技術が向上すれば」とあるが、これは明らかに現状ではまだそうした技術が十分とは言えないことを示している。しかもクラスタリングによって答案を分別することによって本当にしア点を効率化できるのかという本質的な問題すら未解決ではないか。問題は、将来的な技術の向上という曖昧な見通しに立脚して、記述式採点を効率化でき、大学の負担は低減できるのだから、大学に採点させる方式が有効だ、と判断し実行に移すことを提唱する、その倫理観の欠如だ。大学に採点させる方式にしたとして、この技術の向上が上手くいかなかった場合、効率化されない過重な負担を大学側に負わせることになる。その責任はどう果たすのであろうか。

文科省の公表した「進捗状況について」という文書には、クラスタリングに関する部分も記載がある。しかし、p.29にある「クラスタリング結果のサンプル」には一見だけで明らかな問題がある。この点については別の記事で触れたいと思う。しかし、その以前に、文科省の側は読売社説よりずっと慎重な言い方をしていることを指摘したい。

現在の技術水準で実現可能な方法により、答案の読み取り、文字認識によるデータ化、キーワードや文章構造による分類(クラスタリング)を行うことについて、民間事業者の知見も踏まえながら検討。

 将来技術革新があることを前提に新しいシステムを導入してしまうのは無責任極まりない。現状できる方法で導入し、もし技術革新があれば置き換えていけばよい。いまできる方法で十分に効率化できていないなら、安易に将来を夢想してはいけない。

次に、そもそも「明確な採点基準」がいかに困難なことであるかということに対する無自覚さがある。このことは実際にいろいろな例を見てみれば即座に了解できるはずのことだ。50万人が受験する試験で、記述式答案の採点基準を明確なものにすることが極めて難しい。これについては

の中で、PISAの落書き問題と2016年度東大現代文第一問を例に論じた。

そしてさらに、「来年度に始まる試行テストで課題を検証し、着実な実施につなげたい。」という記述の無責任さだ。「出願先が複数にわたる場合の対応」や「個別入試の時期が早い私立大との調整」は、試行テストによって検証できるものではない。これは制度の問題そのものである。試行テストで検証できるのは、問題の内容や採点基準の作成、そしてクラスタリングの有効性などの方である。つまり、試行テストで何を検証できて、何を試行テストとは独立に設計しておかなければならないかが全く理解されていない記述になっているのである。

文科省の「進捗状況」でもプレテストについて

新テストを円滑に導入・実施するため、記述式の作問・採点を含むテストの信頼性・妥当性、試験問題の難易度や試験運営上の課題、不測の事態発生時の対応、民間の活用の検証等を行うための試行テスト(プレテスト)の実施に向けた必要経費を要求。

 とある。「出願先が複数にわたる場合の対応」や「個別入試の時期が早い私立大との調整」は試行テストとは殆ど無関係だ。

 

 

曖昧で十分検討したとは思えない記述は、前半にもある。

マークシート式のみのセンター試験に対しては、理解度を十分に測れないとの批判がある。大学側からは、学生の「書く力」が不足しているとの指摘が目立つ。

 知識量だけでなく、思考力、表現力を測るため、新テストに記述式を導入する狙いは理解できる。入試の改革で、高校の授業を変える効果も期待できよう。

 センター試験は「理解度を十分に測れない」とはどういう意味だろうか。センター試験が「知識」だけを問うているというのは、相当怪しい迷信だと思う。たとえば国語の試験は、「知識」だけが問われているわけではないし、問題を解くために「思考力」が不要であるとは到底思えないし、「理解度」も一定の側面からは測れている。

学生の「書く力」が不足しているという指摘は、新共通テストに「記述式問題」を導入するべきという主張と直接は結びつかない。そもそも国公立ならば(推薦や一部の後期入試の方式などの例外を除けば)二次試験で文理を問わず何らかの科目の記述式試験を通過して合格しているはずだ。

この辺りは、マークシート式試験と記述式試験を共通テストとして実施することで何を測ろうとするのかという点を十分に検討しなければならず、文科省は現在それを検討していると表明しているのである。読売社説はこうした点について十分に検討していないために、言葉の選び方や記述が曖昧で意味がはっきりしない形になってしまっているのである。

 

新共通テストの英語試験に関する点でも言葉の選び方に疑問がある部分が見受けられる。

英語で活用する民間試験について、文科省は一定の基準を設けて認定する方向だ。公性の確保や受験料負担の抑制が望まれる。

「公正」という言葉遣いは、不正やごまかしのないことを通常指す。民間試験を導入する際に、試験の公正性が問題になるというのは通常考えにくい*1

問題なのは、試験の公性だ。

ある年度の大学入学者を選抜する際、実施団体が異なる試験や実施団体が同じでも実施時期が異なる試験の結果を用いることは、選抜の公平性とどう折り合いをつけることができるのか、ということが問題なのである。

まとめ

全体として9月2日付の読売新聞社説は、

  • 新共通テストの記述式試験の採点に関する情報のミスリード
  • 大学側が採点する方式のデメリットを実質的に隠ぺい
  • 新共通テストや記述式試験の内容や問題点について十分検討せずに書かれたと判断せざるを得ない粗雑な記述

という問題点の多いものであった。こうした記述は報道機関としての公平性や信義を欠いたものであると言わざるを得ない。

 

 

 

 

 

*1:2014年にBBCが報じたTOEC、TOEFLの実施を委託されていた団体の不正行為などの例はあるが、それは民間試験を導入する場合の第一義の問題とは言えないだろう。