【新共通テスト記述式】氏岡真弓氏による朝日新聞の記事を批判する
朝日新聞8月19日付記事にかかわる経緯
2016年8月19日の朝日新聞1面および4面に、新共通テスト(センター試験の後継となる試験)の記述式問題の採点方法に関する記事が掲載された。これらはいずれも、朝日新聞 編集委員 氏岡真弓 氏による署名記事だった。
8月19日付朝日新聞1面記事:新テストの記述式は各大学が採点へ 当面国語のみで検討
8月19日付朝日新聞4面解説:<解説>大学に負担、利用未知数 新テスト記述案
この1面記事のタイトルは新共通テストの採点方式は、各大学が採点する方式で行われることを示唆したものであり、本文の冒頭から、
大学入試センター試験に代わり2020年度に始める共通テストで導入する記述式問題について、文部科学省は、受験生が出願した大学が採点を担う方向で検討を始めた。国立大学協会入試委員会(委員長=片峰茂・長崎大学長)の提案を受けた。
と書いている。さらに後半では、
一方、今回の改革について「検討に積極的に参画する」としてきた国大協も入試委で採点方法を議論。国語で出題▽入試センターはマークシート式の採点を担う▽記述式を利用する大学は受験生の記述式の解答をセンターから送ってもらい、採点する――という独自案をつくり、7月末に文科省も同席した会議で示した。
とある。
しかし、4面の解説記事の中では、
入試委員会は、文部科学省が検討してきた2案と独自案のそれぞれの長所と短所について論点整理をまとめ、近く公表する方針だ。
とある。そもそも文部科学省に提案したとか、文科省も同席した会議で示したにも拘わらず、それがその後で論点整理が行われるというのは奇妙な話ではないだろうか。
そして、国立大学協会入試委員会における論点整理は、この記事が掲載されたのを全く同じ日、8月19日に公開された。
この文書の中で、
今回の文書は、表題の通り「論点整理」であって、特定の結論を述べているものではない。国立大学協会としては、今後の文部科学省「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」検討・準備グループの検討状況を見極めながら、真に意味のある改革が着実に実現されるよう、今後とも柔軟かつ積極的に検討していく用意があることを、最後に付言しておく。
とはっきり述べている。
しかもこの文書のp.5には、大学側が記述式試験の採点を行うことに対する論点と課題が9項目にわたって列挙されている。この文書は、大学側が記述式試験の採点を行うことを提案した文書ではない。
にも関わらず、8月19日付けの朝日新聞の氏岡氏の記事では、あたかも国立大学協会入試委員会が、大学側による記述式試験の採点という独自案を文科省に提案したかのような形の記述になっている。これは国立大学協会による論点整理の内容を明らかに踏み越えた表現であると言わざるを得ない。
しかも1面の記事の中では
入試委は独自案について、各大学が2次試験の合格発表までに採点すればよく、時間に余裕があるので出題の幅が広がると判断。また、センターが示す共通の採点基準に加え、各大で独自の基準を採用できるとしている。
同省幹部は入試委の案について「本格的な記述式の出題が可能になり、改革の理念を実現する道を開く有力な案」と話す。
としか言及せず、この方式に多くの問題点が残っていることに一切触れていない。4面解説記事の中で
独自案の課題は、どれだけの大学が採点の負担を負ってでも利用するかだ
とだけ述べているが、現実には、この方式は単に大学の負担の問題にとどまらない非常に多くの問題点があると国大協の「論点整理」は指摘しているのである。
朝日新聞は、国立大学協会の論点整理を受けて、翌日8月20日の誌面に次の記事を掲載した。
朝日新聞8月20日付記事:センター試験にかわる共通テスト、国大協が論点整理提出
この記事は氏岡氏の署名記事ではないことに一応注意しておく。
しかし氏岡氏は自身のツイッターの中で
と述べているのだから、この記事と無関係ではありえないだろう。
この記事の中には次のような記述がある。
いままで通り大学入試センターが採点を担うことを前提に文科省が検討していた2案([1]12月中旬などに前倒しして実施[2]現行通り1月中旬に実施)と、入試委の独自案(1月中旬に実施し、その後、受験生が出願した大学が採点を担う)の計3案について考察した。7月末以降、委員らの意見を集めてまとめた。
もし19日と20日の記事の通りだとすると、
国立大学協会入試委員会は、
- 7月末の会議で、「大学側が採点を担う」案を文科省に「提案」
- 7月末以降に委員の意見を集めて「論点整理」を行い、しかも「特定の結論を述べているわけではない」。
これは明らかに矛盾した対応である。「提案」したあとに「委員の意見を集めて論点整理」などというのは順番があべこべで、このような経緯はにわかには信じがたい。
しかも20日付の記事には、論点整理の表が付けられているものの、本文中では、
[1]案は「高校教育への負の影響」を指摘。[2]案については「極めて少数の短文記述式設問に限定される」とする一方、採点をマークシート式と別にして各大学に結果を知らせるのを2月下旬に延ばせば、第一段階選抜には間に合わないが、「相当程度の問題内容の充実が可能」とも記した。
独自案については、「採点のための時間的余裕が生まれ、出題の多様性の幅が拡大する」「各大学で独自の採点基準を採用できる」とし、「大学の責任と物理的負担が極めて大きくなる」「大学によって対応が分かれる可能性」などとも指摘した。
と記述し、独自案のメリットとデメリットの部分を逆接で結ぶことすら避けている。[1]案へデメリット、[2]案にデメリットと逆接で結んでメリットを記述しているにもかかわらずである。
氏岡真弓氏は取材の経緯を説明するべきだ
以上の経緯のもとで、私は、氏岡氏が19日の記事を書いた経緯を説明する必要があると考えている。
具体的には以下の点だ。
- 【19日の記事における提案の内容把握】氏岡氏は19日の記事で、国立大学協会入試委員会が、独自案を文部科学省へ提案したと書いた。その提案が行われたとする7月末の文科省同席の会議とはどのような会議であったのか。またそこでの「提案」はどのようなものであったと把握しているのか。その会議では問題点などの指摘は国立大学協会側から何もなされなかったのか。
- 【19日の記事と「論点整理」の関係】氏岡氏が国立大学協会入試委員会による「論点整理」の内容を見たのはどの段階でなのか。19日を書く前に「論点整理」の内容について取材したのか。それとも19日の記事は「論点整理」の具体的な内容については一切取材をせずに書いたものなのか。また国立大学協会が19日に「論点整理」を公開することを記事を書く段階で把握していたのか。
- 【国立大学協会への取材の有無】入試委員会が「各大学が2次試験の合格発表までに採点すればよく、時間に余裕があるので出題の幅が広がると判断。また、センターが示す共通の採点基準に加え、各大で独自の基準を採用できるとしている。」と述べたとする記述は、国立大学協会の論点整理を見て書いたものか、あるいは事前に取材したものによるのか。特に文科省担当者からの伝聞情報によるものなのか、直接国立大学協会に取材したものなのか。もし直接取材したという場合、国立大学協会からは、「特定の結論を述べているものではない」との表明はなかったのか。
- 【19日と20日の記事の整合性】19日の記事にある「7月末の文科省同席の会議」と20日の記事にある「7月末以降、委員らの意見を集めてまとめた」との記述の整合性や事実関係をどう把握しているのか。
- 【20日の記事の記述】20日の記事において、国立大学協会が「論点整理」の中で「特定の結論を述べているものではない」としていることや「独自案」について、9項目にわたる論点と課題を付記していることに一切触れていないのはなぜか。
もし印象操作がなされているなら重大な信義違反だ
今回の氏岡真弓氏の19日付の記事には強い違和感がある。19日の記事の中で文科省担当者が「八方ふさがり」と述べていることが紹介されているように、新共通テストに関する多くの課題が指摘され、様々な点が先送りされている現状がある。記述式の出題という点を実施するためには、どのように採点するかという点のクリアは必須だが、現状の文科省の案には批判も多く実現困難な状況にあった。
そこに国立大学協会入試委員会に関する何らかの会議で「大学側が採点する」という案(?)が俎上に上った。様々な日程的な点からもそろそろ結論を出さなければならない時期である以上、多少問題がある案であっても国立大学協会が提案したということを免罪符に押し切ろうとする意図が文科省側になかったか。そして氏岡氏は意図的にせよ結果的にせよ19日の記事で、本来様々な検討に付している最中のものを、国立大学協会の独自案であると宣伝し、その路線を既成事実化するために一役かっていることになりはしないか。
しかも、19日4面の記事や氏岡氏自身のツイッターを見ると、この方針に概ね氏岡氏が賛成しているようにさえ見える。
このツイートでさえ「国大協の委員会ででた案」という非常に不正確な言葉が使われている。それはひとまずおくとしても、氏岡氏は自分の賛同できる案が出たために、その案を後押しする記述をしているとさえ見えなくもない。20日付けの記事で、論点整理の表の中では、独自案に○が2つ付けられている点や、先に指摘したように、記事本文の中で「独自案」に対する問題点の指摘に関する言及が一切なく、しかもデメリットの印象が薄められているかのような記述になっている。
4面の記事にある
- 大学が採点を担う国立大学側の独自案が具体化すれば、入試改革が実現に大きく近づくことになる。
- 国立大学協会入試委員会が示した大学採点案が採用されれば、これまでの記述式で中心だった文章を理解し説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能になる。
といった文言は氏岡氏がこの案に概ね賛成なのではないかと感じさせる。しかし、「国立大学側の独自案」とか「国立大学協会入試委員会が示した大学採点案」などというような記述は、明らかに「論点整理」のトーンとは異なるものである。
氏岡氏は、意図的であれ結果としてであれ、今回の「大学が採点を担う」という方法を、国立大学(協会入試委員会)が正式に提案し、しかもそれにはデメリットを上回る長所が多いかのような印象操作を行ってしまっているように見える。もしそれが意図的なものだとしたら重大な信義違反だと言わざるを得ない。
19日の報道が流れた後、もちろん多くの関係者がいろいろなコメントをしたように思う。しかし、大学関係者の中には、もし実際に採点するとなれば一番現実的な案はこれしかないのだろうとか、もうこの方向で動き出してしまったのだろうから変えるのは難しいのだろうというような、嘆息とも諦観ともつかないようなコメントも見受けられた。氏岡氏の記事が、意図的であれ結果論としてであれ、問題の多い案を採用するように後押しし、もう引き返せないという雰囲気づくりに加担したことは否めないと感じる。水漏れの多い方法のまま現場を混乱させるような形で見切り発車する形になりうることに対して、氏岡氏の記事は、十分な想像力と識見を欠いていると思う。
19日の記事と国立大学協会の「論点整理」を比較すると、19日の記事の具体的な内容にはさらに多くの問題があると考えるが、それは別の記事で指摘したいと思う。