京大の入試ミスに関する吉田弘幸氏の対応は、現時点では疑問だ

阪大と京大で音波の反射と干渉に関する物理の問題に出題ミスがあるとの指摘を受け、追加合格の措置をとるなどの対応が行われた。

両者のミスを指摘した吉田弘幸氏は、自身の見解と解説を説明する文書を作成している。

Dropbox - resume.pdf

(本稿は2/5にダウンロードしたレジュメから引用する。)

平成29年度大阪大学一般入試(前期日程)等の理科(物理)における出題及び採点の誤りについて【2月1日追記あり】 — 大阪大学

および

平成29年度京都大学一般入試 理科(物理)における入試ミスについて — 京都大学

でそれぞれの問題の出題側からの解説も読むことができる。

 現時点での私の考えは、

  • 阪大の問題やその解説は極めて不適切である。
  • 京大の問題は「解答不能」なのかどうかは疑わしく、この点を厳しく批判する吉田弘幸氏の議論が適切か疑問である。

 という2点にまとめることができる。以下、現時点での私の理解と意見を説明する。

 (なお今後、私の議論に重大な誤りが見つかれば訂正することがありうる。)

§0(前提)阪大の解説は論外

 阪大側の解説の要点は、当該問題の問4および問5は、「同位相振動モード」で考えることとして出題していたというものである。そうした振動モードが存在するとの論文まで引用している。しかし、当該問題では、A-Iのリード文の中に

音叉が音を発するときは,このように2本の腕は互いに逆向きに振動し,周囲の空気に圧力変動を与えている。

 と明確に「逆位相振動モード」で考えることが明示されており、当該問題中に他の振動モードを考えることを示唆する記述は全くなく、阪大側の解説は、自ら作成した問題文に書かれていない設定を持ち出していることになる。阪大側の主張通り、もともとそのつもりで出題していたというのならそもそも出題の仕方が拙い。あるいは、例えば、音叉から出る直接はの位相について考え違いをしてしまっていたことを糊塗するためなら、ますます悪質である。現時点で、阪大側の解説を受け入れられる余地はないと考える。

問5に関する吉田氏の評価は疑問

 阪大の問題の問5は、状況を厳密に考えず、求められている音速だけを計算するなら、問4の出題ミスでも答えが出てしまう。問題が不整合である理由は、具体的に整数値nを計算することにより露呈する。

もし「2d=nλ」という(阪大の想定とは異なる)問4の答で計算すると、1回目の測定では、λ=62、n=1.61...となり、2回目の測定では、λ=68、n=1.44...となるため、本来整数値であるべきnの値が整数値にならない。他方、「2d=(n+1/2)λ」という(阪大が想定した)問4の答で計算する場合、1回目の測定では、λ=62、n=2.11...となり、2回目の測定ではλ=68、n=1.94...となるため、前者と比べて整数値に近い値になる。従って、問4の本来正しい解答の場合には、問5の状況が矛盾していることになる。この点が出題ミスとされたもうひとつの理由である。

 この点について吉田氏は、特に京大の問題との比較の観点で次のように述べている。(赤字強調は引用者。)

大阪大学で出題された問題自体には致命的な不備はなく,寧ろ,教育的にも優れた問題であったと考えます。勿論,問4は,問題の流れに沿って音叉の振動を逆位相モードと考えた解答(当初の解答ではない方の解答)のみを正解とするべきです。その場合,問5の数値データとの整合性が悪いですが(しかし,実は当初の解答を採用しても,入試の問題としてはかなり誤差の大きいデータになっている。),実験データなので許容する余地もなくはありません。あるいは,壁ではなく膜などとして,反射による位相変化が不明であることを示唆しておくとよりよかったでしょう。その場合は,問4の正解として3つの可能性(実質的には2種類)が存在しますが,問5のデータに照らして一方に決定させることとなり,より優れた問題となったでしょう。

有効数字2桁で音速を求めさせる問題で、n=1.6と1.4を整数値と判断することを「実験データなので許容する余地もなくはありません」と評価することに私は同意できない。しかもこの問題の出題において実際に実験が行われたと推定するのは困難であり、出題者が何らかの意図をもってこのデータを想定したにすぎないと考えるのが自然である。実際のデータではない以上、この大きい誤差を許容する余地はないとするのが当然であろう。この点で、吉田氏の評価は、(後で述べるように京大の問題に対しては不当に厳しく)阪大の問題に対して寛容すぎると考える。

 

 §1 京大の問題についての要点

 まず、吉田氏が「検討問題2の問題点」として指摘する3点に沿って、京大の問題について整理する。

(1) 音源の構造

吉田氏の問題提起は次の通りである。

出題者は「音波は全方位に伝わる」との記述により,全方位に密度波として同位相の振動(変位波としては,それぞれ伝わる向きを変位の正の向きとすれば,同位相の振動になる)が伝わることを意図したのかも知れないが,やはり不明確である。

対する京大側の見解は次のようになっている。

本問題における音源は、「全方位に」という表現でも示されているように、等方的な音波を出す点波源を想定している。

(中略)

一般に、箱に収められていないスピーカーユニットや音叉などのような、より複雑な波源の場合は、特徴的な方向依存性が現れる。従って、そのような音源を扱う問題の場合はその性質が明記されるであろう。ここでは示されていないので、等方的な音波を出す点波源を想定するのが自然である。

 吉田氏はこれを受けてツイッター

「全方位に」の記述が「等方的な音波を出す」を意味するとあるが,必ずしもそのように解釈できるか。

 と述べているが、少なくとも私は、京大の説明にある「等方的な音波を出す点波源を想定するのが自然」との見解に同意する。これ以外にも自然に考えられる状況があるなら、そのことを具体的に明示するべきだ。「不明確である」というだけでは不十分である。

 

(2) 音波が強め合うとは「変位波」としてか「密度波」としてか

吉田氏はこの点について次のように述べている。(赤字強調は引用者。)

人間の耳が変位波と密度波のいずれに反応するのかは高校物理では学ばない。したがって,受験生には判断することが出来ない。この点は,マイクロフォンを使っても同様である。マイクロフォンには,構造により変位波を検出するものと密度波を検出するものと2種類ある。

 これに対し、京大側の説明は次のよう述べている。

ヒトの聴覚系は耳の鼓膜で圧力変化を検出していることが知られている。これは、鼓膜の後ろが閉鎖されている構造を持つことに起因している。また、多くのマイクロフォンも後ろが閉鎖された構造を持ち、圧力変化を検出している。しかし、マイクロフォンには、変位 (速度) を検出するタイプのものも存在する。このようなマイクロフォンは耳とは異なり、後方が開放された構造をもっている。
本問題においては、「運転手が音を聞く」という動作が記述されている。従って、耳の動作原理を理解している解答者が、「音波の強弱は圧力変化の大小を意味している」と考えることは自然である。

と述べ、さらに

本問題においては、「運転手が音を聞く」という観測動作が記述されている。耳が変位を検知していると仮定すると、固定端である壁に近づくと、音は聞こえなくなるはずである。経験上そういった現象は観測されないので、変位を観測しているとは考えにくい。

 とも述べている。この点については京大側の解説でも、問題文の説明に不十分さがあったことを認めており、それが今回の追加合格等の措置につながったことは間違いない。しかし、私の感覚では、京大側の解説には、耳の構造や日常の経験的な観察に照らして、耳が圧力変化を検出しているというのが自然であると判断できるに違いない、という意識が強く滲んでいるように思われる。

 また、ここでは、阪大の設定のような(構造の不明な)マイクロフォンではなく、「運転手が音を聞く」と問題文に明示があることも指摘しておくべきである。京大側の解説は、自ら作成した問題文に準拠しており、§0で指摘した阪大側の不適切な解説とは全く状況が違う

 もちろん吉田氏の指摘する「高校物理では学ばない」は正しいが、これらの点は慎重に考える必要がある。

 私はどちらかと言えば、京大側の「耳の動作原理を理解している解答者が、「音波の強弱は圧力変化の大小を意味している」と考えることは自然」との見解に同意する

 この点はあとでも検討する。

(3) 反射点、音源、運転手の位置関係

 吉田氏は

位置関係が結論に対して支配的であり,この点が不明のままではいずれとも判断できない。 

 と指摘するが、これは、検出するのが変位波か圧力波か不明な状況での議論である。京大側の解説が明示的に次のように述べている。

等方的な波を出す点音源を考え、観測者が音源の近くで圧力変化を観測する場合は、観測者と音源の位置関係によらず、一意的に干渉条件が導かれる。 

 おそらく吉田氏もこの点には同意するのではないだろうか。

(4) 壁における反射の取り扱い

圧力波が反射する場合の位相変化を考えることが受験生にとって容易であったかどうかは別として、この点については吉田氏も京大側の説明を受けて

反射の取り扱いについてはまったく疑義はない。

と述べている。

§2 高校物理で習わない事柄の取り扱い

 人間の耳が圧力変化を検出していることが高校物理の問題で出題されてよいかという問題はありうる。吉田氏はこの点について否定的であると思われる。

 この問題については、いくつかの観点がありうる。

 第一に、感覚器官としての人間の耳の構造は、中学理科第二分野で取り扱われており、耳の断面図などが提供されていると考えられる。高校物理で扱われる音波の性質や取り扱いと、中学理科での耳の構造についての説明、加えて、京大側が指摘するような日常的な経験(壁に近づくと音が聞こえなくなるということは起きない)に照らしてみたとき、受験生側からみて、人間の耳が圧力変化を検出しているという判断を持つことが本当にできないと断定できるか。

 第二に、すべての受験生に対して上記のような判断が可能ではないとしても、例えば京大はそうした判断ができる学生を選抜したいというアドミッション・ポリシーを持っていると主張することも可能である。もちろん入試である以上一定の制約はあるが、高校物理の枠内に一片の疑いの余地もなく完全に含まれていること(例えば全出版社の教科書に共通して記述されている内容)だけしか許容されないとも限らない。

 第三に、仮に「人間の耳が圧力変化を検出している」ことが、京大の物理の試験問題として、妥当な試験範囲から著しく逸脱しているとしても、それを「問題が破綻」と評価することは適切ではない。

 

§3 吉田氏の評価は行き過ぎだ

京大の問題についてまとめると、

  • 等方的な波を出す点音源を考えるのが自然
  • 運転手が耳で聞くとある以上、運転手が検出しているのは圧力変化であると考えるのが自然
  • 従って、壁・音源・運転手の位置関係によらず、音源に十分近い運転手にとっての干渉条件は一意的に定まる

というのが、京大側の説明であろうと思う。

最終的に京大側が追加合格等の措置をとったのは、

耳が圧力を検知していることを前提知識としないのであれば、問題文の「音波は強め合ったり弱めあったり」の意味を明らかにするために、音波の検知方法を明記する必要があった。

という結論に基づいている。少し京大側の意向に忖度して述べれば、

 出題側は問題文に明記された状況で最も自然に考えうる状況と日常的な経験と高校までの知識を前提とすれば、本問は十分解答できると考えたが、実際には、音波の検出方法についてより明示的に記述しておくほうがより適切であった

ということになると考えられる。現時点での私の考えは上記のとおりである。

 しかし、吉田氏の評価は

本問は,以上述べた正解を導くための3つの要素について,すべて不明な出題となっている。したがって,本問は解答不能と判断せざるを得ない。

京都大学の問題は,前述の通り,問題自体が破綻しており,完全な出題ミスと言わざるを得ません。

および

杜撰な考察を行うと議論の一貫性が失われ,誤った結論を導いてしまいます。大阪大学の出題ミスも,京都大学の出題ミスも,そのような点に問題があったものと予想されます。

となっている。

私は、これは誇大であると考える。

  • 阪大との比較において、(整数値となるべき値が整数値とみなせないような値になるという点で)問題が破綻しているのは阪大問5であり、京大の問題に少なくとも問題の設定と結果に矛盾が生じるような瑕疵はない。
  • 阪大側は問4だけで見れば、問題から自然に想定される状況のもとで本来正しい解答を不正解扱いにしたという採点上の瑕疵があるが、京大側は、問題文から自然に判断できると出題側が考えた状況のもとで導かれる正しい解答で採点したと考えられる。
  • 京大の問題では、人間の耳が圧力変化を検出しているということは正しい事実である。しかし、高校生に判断できるかどうかで出題側と解答側には判断の相違があるかもしれない。
  • 京大側の問題では、より明示的な記述を追加することで、状況の設定をより適切な形で提示できる箇所があった。しかし、京大の問題に「杜撰な考察」はなく、「議論の一貫性」も失われていないし、「誤った結論」もない。
  • しかも明示していないことが直ちに「不明瞭」とか「解答不能」となるのではなく、より自然な状況設定は何であるかを読み取ることも受験生に求められているという立場も十分可能である。

整数値になるべきものが到底そういう値にならなかったり、選択肢の中に適切なものがないという状況なら、問題が破綻しているとか解答不能という判断になる。しかし、京大の問題を「不明な出題」と判断した吉田氏の議論は、京大側の解説と比較すれば不十分と言わざるを得ない。少し極論すれば、結局、京大の問題の場合には、人間の耳が圧力変化を検出しているという点を受験生にどう要求するかということに対する見解の相違に還元されてしまう可能性すらある。これらを踏まえれば、吉田氏の評価は、阪大との比較の観点からも、京大の問題自体に対するものとしても明らかに行き過ぎであったと考える。

 

§4 社会的影響の大きさ

  吉田氏は今回の問題を、単に大学側への問い合わせだけに済ませず、文科省への通報も合わせて行っている。こうした問題を文科省マターにするということは、今回の件が、すべての(国立)大学へ波及する可能性に道を開くことになる。私は、現時点では、吉田氏の京大の問題に対する見解は行き過ぎであり、「解答不能」という評価は間違っていると考えている。もし、間違った評価に基づいて、全国の大学に新たな対応が課されるとすれば、その社会的影響は大きく、吉田氏の責任は重大である。

 今回の件を受け、文科省は解答例の公表などについて新たなルールを作ることを検討しているようである。吉田氏も今回のようなミスを防ぐために解答を公開することを積極的に求めているようだ。

 今回の件を受けた結果、

すべての(国立)大学に対して、すべての科目のすべての問題の解答例を(原則)公開すること

が義務付けられるという可能性もある。解答例の公表のあり方については様々な議論があり、ここではそれらについて個別に議論することは避ける。端的に3点指摘すれば次のようになる。

  • どのような種類の問題にどのような解答例を公開することが適切かは様々であり、問題ごとに十分検討されるべき。例えば、今回の阪大と京大の問題は、求値問題でかつ解答のみを記述させる形式や選択式の問題だったが、大学入試で出題される問題の形式は非常に多様で、たとえ求値問題でも解答はほぼ白紙の解答用紙に一からすべて記述するような数学科目の問題もある。国語では100字程度の記述式問題もある。解答例の公開にはメリットもあるが、デメリットも大きく、もし解答例を公開するならその方法を一定の範囲で選択できる(非公開もありうる)ように丁寧に議論しなければならない。しかし今回のような喧騒の下でそのようなことが可能とは考えにくい。
  • 解答例を公開することを義務付けることによる大学での事務作業の負担増は決して軽くない。どのような解答例を公開するか(記述式問題の解答例は一つではないためどの解答例を公開するかは選択が必要)の議論に始まり、公開する解答例にミスがないかどうか(単純なタイポだけでなく高校での学習内容に準拠した表現や記述になっているかどうかなども含めた全般的な)チェック作業、それに加えて、外部からの指摘への対応(おそらく全くおかしな指摘も寄せられる可能性が高い)など、次年度のための入試問題作成と旧年度の入試問題解答例の講評にかかる事務作業とを並行しなければならず、これはかなり手間がかかる。大学の入試業務はなにも学部一般入試だけに限らず、学部編入や大学院、それらの推薦入試など、様々な入試が行われている中で、さらに業務に負荷をかけることになる。
  • 今回のようなミスを防ぐ効果や学生へのデモンストレーションの効果などのメリットはあるが、多くの場合、入試問題にミスはなく、同じ問題が出題されるわけではないから学生への効果も限定的であることなども勘案しなければならない。 

 これらの点を考慮して、全面的な解答例の公開のコストとメリットの比較がなされなければならず、現時点では、私はどちらかといえばコストの方が大きく、少し極論すれば、近年の研究基盤の低下にあえぐ大学にとってむしろ悪影響も大きいのではないかと危惧する。