こんな問題と採点で大丈夫なのか?-新共通テスト 試行調査 国語の記述式問題について-

 私は、新共通テストで記述式試験を課すことには、現時点では反対だが、すでに各大学ごとに新共通テストをどう選抜に利用するかが公表されるなど、実施に向けて大きく舵が切られてしまっている。そういう状況の中では、さしあたってあまりにおかしな問題や採点が行われることに警鐘を鳴らすためにも、実際に試行調査で出題されている問題を検討するべきだと考える。既に平成29年11月の試行調査の結果報告が出ている。

 そこで、平成29年11月に行われた大学入学共通テストの試行調査で出題された記述式問題のうち、数学(I・A)で扱われた問題について下記記事で、問題の内容や採点基準に懸念があることを述べた。

 選択式の問題に比べて記述式の問題の方がより理解度や思考力・表現力を正確に測定できるとする意見は根強くあり、共通テストとして記述式試験を課すことに肯定的な意見も広く存在することは確かである。しかし、上の数学に関する記事の中でも述べたように、実際には理解度や思考力・表現力を測るという目的からは大きく乖離した形で、極めて杓子定規な正答基準に基づいて、パターンマッチング的な採点が行われてしまう懸念がある。枚数・人員・採点者の能力・時間などの様々なコストの面から、そうした採点しかできなくなってしまう危険が非常に高い。それは、記述式試験を導入するための

記述式問題の導入により、解答を選択肢の中から選ぶだけではなく、自らの力で考えをまとめたり、相手が理解できるよう根拠に基づいて論述したりする思考力・判断力・表現力を評価する

という美辞麗句とは逆方向を向いていることになる。

 では、国語の記述式問題はどうか。この記事では、国語の記述式問題(国語第1問)について検討する。なお、数学はある程度何が正しいかが確定するが、国語は自分の持っている語彙や経験などにも強く影響されうるので、私の国語力の乏しさが暴露されるかもしれないが。

国語記述式問題の内容

 国語の記述式問題は第1問である。

 生徒会部活動規約第1条から第16条までの条文と3枚の資料をもとにした会話文を読んで問に答える形式である。

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問1(50字以内の記述)

 

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という会話文について、次のように問われている。

問1 傍線部「当該年度に部を新設するために必要な、申請時の条件と手続き」とあるが、森さんが新聞に載せるべき条件と手続きはどのようなことか。五十字以内で書け(句読点を含む)。 

 正答の条件は以下の通り。

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この問題は無答率は非常に低く、正答率は43.7%である。単純にこれが高いか低いかではなく、つぎのように、条件の一部を書き落とした答案が32.2%あったことに注意する必要がある。

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典型的な誤答例として挙げられているものは以下の通り。

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私がこの問題について主張したいことを述べると次のようになる。

(1) そもそもこの問題自体が破綻していないか。

 現在同好会として「ダンス同好会」がない以上、まずは同好会を作らなければ部を新設する申請の俎上にのらないのだから、「ダンス部設立希望」に対する回答は、「まず同好会を作って3年活動してください」以上のものにはなりえない。「当該年度」という言葉遣いも奇妙である。当該年度とはいったいどの年度のことなのか。規約の中にある「当該年度」は明確で、3年以上活動している同好会が部としての新設を希望する年度のことだ。しかし、まだ同好会にもなっていないものに対して、「当該年度に部を新設するために必要な」というときの「当該年度」とはいったいいつのことなのか不明である。実際には、同好会を新設するにはどうすればいいかは規約文の中にはないので一体何年先の話をしているのかまったく不明である。ダンス部を設立して欲しいと要望しているのは1年生だが、いま同好会を作れるとしても、この1年生たちは部の新設を申請できるまでに卒業してしまうのである。

 

(2) 50字という制約条件がついているために正答の条件が歪んでいるのではないか。

 記述式問題でよく議論になる点として、いくつかの条件がある場合、それらをすべて書くのか、一部だけでよいのかという論点がある。「申請時の条件と手続き」を書く場合、規約に規定されている条件をすべて書くなら、「同好会活動3年以上」「部としての新設を希望する年度の4月第2週までに」「所定の様式に必要事項を記入」「生徒会部活動委員会に提出」の4点をすべて書かなければならないはずだ。しかし、それをすべて書くと50字には収まらない。だから、正答の基準では、「所定の様式で申請する」と「生徒会部活動委員会に申請する」ということのどちらかが書かれていることで正答扱いしようとしているわけである。しかしそうした省略が許容されるなら、

「同好会活動3年以上が条件で、部の新設を希望する年度の4月第2週までに、規約第13条の方法で申請する。」

という答案はどうなるだろう?丸めることが許されるとして、そのうちどれかを削ってもよいとするのか、それらは細部とみて規約を引用してよいのかの判断は難しい。

 私は、正答例の「4月第2週まで」という条件も本来なら上のように「部の新設を希望する年度の4月第2週まで」と書くべきだと思う。それが会話文の中にある「当該年度」という設定に引きずられて省略してもよいことにされている。それでも48字だからぎりぎりである。

 結果報告の文書の中では、「問い掛け(目的)に応じて情報を取捨選択することや、限られた字数で正確に記載することに慣れていない」とか「正答例のように「正答の条件」をすべて満たす文章にまとめるために、必要最低限の情報の抽出に迷った」などと受験者を総括しているが、端的に言って、本問の字数制限は厳しすぎる。誤答例を見ても、受験者側は文字数を削るために四苦八苦したあげく、曖昧な文面にしてしまったように見える。本来規約に無駄なことが書かれているわけもなく、それをさらに削って記述することを求めるのは適切とは言い難い。にもかかわらず、その省略の仕方を「正答の条件」のように強制するのは不当である。

 これは記述文字数を増やして採点業務を増やしたくないという事情もあると思われる。そうであるならば問い方を変えなければだめだ。

 

問2(25字以内の記述)

 この問題は正答率が73.5%と高いようなので、引用とだけに留める。

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 問3(80字以上120字以内の記述)

 これは次のような会話文に対する問である。

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問題は条件付きの記述で次のような4つの条件が付いている。

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正答の条件は次のように示されている。

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この問題の正答率は極端に低く0.7%である。ここでは正答率の低さに加えて、8割の答案が設定された正答の条件の複数を満たせていないことには注意が必要である。

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誤答について示されているのは次のような内容である。

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この問題について私が主張したいことは次の通りである。

(1) この問題も設定に不自然さがある。

 そもそも会話文の前段で「提案の方向性はいいと思うのですが、課題もあると思います。」と述べられているのだから、その後に続く部分で、わざわざ提案することに対する基本的な立場を再度示さなければならないのだろうか?普通は、イに入る文章は、「課題」について述べたものになるだろう。「確かに~」という文章は、「提案の方向性はいいと思うのですが」の前に入るならわかるが、イの中に入るのは不自然に見える。わざわざ二文などというような細かい条件を設定せず、「○○なので、提案の方向性はいいと思うのですが、課題もあると思います。というのも○○だからです。」と述べさせ、それぞれ○○の部分に文章を補わせる方が解答が明確になって自然に見える。

 結局この問題は、「確かに○○である。しかし○○である。」というようなテンプレートに答案を押し込むことが優先され過ぎているように見える。

(2) 提案を支持する具体的な根拠を2つに限定してよいか、またその根拠は適切か疑問である。

 正答の条件では、提案を支持する根拠を「部活動時間の延長の要望が多い」と「部活動時間の延長を認める高校も多い」の2つに限定し、それらが両方記載されていなければ誤答扱いしている。資料2があるので市内の他の高校との比較を盛り込んでほしいということはわかるが、「延長の要望が多い」の方は他の言い方もできるのではないか。「大会や発表会の準備のために時間を多く使いたい」や「部活動時間が短いと中学生の志望者が減る」という意見である。資料3でそのような意見を述べている生徒がいる。こうした点を盛り込んだ答案を誤答としてしまって良いのだろうか。会話文の中に「個人的な思いだけでは提案できません」とあるから、イには、個人の意見を反映せず「要望が多い」とまとめた答えを書かなければいけないのだろうか?「具体的な根拠」として何が許容されるのかが不明確で判断しづらい。蛇足だが、「要望が多い」という点も、資料3のアンケートでは全回答のうちの4割程度だが、資料1の要望で見ると全体の投函数148通のうち28通しかない。こうした点を踏まえて「要望が多い」とまとめていいのかも少々疑問である。「市内に延長を認める高校も多い」も書きぶりが微妙と感じられる。「白鳥総合高校」は延長なしで18時30分までできるので延長しなくても遅くまでできているわけだから、「青高以外の市内の高校は無条件もしくは条件付きで18時~18時30分まで活動できるから」というような書きぶりの方がより適切のようにも思える。また、「市内の他の高校は延長できるので」のような資料2の内容と微妙にずれているような書きぶりの場合はどう判断するかという点もあるだろう。

 

(3) 延長を提案することに対する「基本的な立場」の意味するところが曖昧に見える。「提案してみてもよいと思う。」とか、「提案すべきだと思う。」はどうなのだろう?これは次の述べる「提案がどのように判断されるか」という部分とのつながりの問題もある。また答案の中には、「延長を提案すること」に対する「基本的立場」と「延長すること」に対する「基本的立場」とが区別されていないものも出てくると思われる。「要望も多いし他の高校でも延長できるから賛成」のように何に賛成しているかはっきりしないものもありうる。このような曖昧さは、採点において基準のブレを生じる大きな要因になりうる危険な個所である。

 

(4) 延長という提案がどのように判断される可能性があるか、という問題文の「判断」の意味するところが曖昧に見える。正答の基準では、「延長は認められにくい」以外の「判断」を認めていない。しかし、もっと手前の段階として、「延長の提案は、生徒の安全確保を軽視していると判断される」とか「延長の提案は、青高の交通事情を十分に検討していないと判断される」といった内容もありえる。

 そもそも、イのあと「なるほど、そう判断される可能性がありますね。それでは、どのように提案していけばいいか、みんなで考えましょう。」と続くのだから、イの中で、「認められにくいのではないか」と書くのはつながり方が不自然に見える。「安全確保を理由に却下されると思うよ」と言われて「じゃあどう提案すればいいか考えよう」となるだろうか。要望や他校との比較だけで提案すると青高の特殊事情である交通安全確保について十分検討していないと指摘されるから、その部分の対策について考えようという文脈の方が自然に見える。

 

(5) 延長の提案に対する判断の根拠として交通に関する点を具体的根拠として挙げることが正答の条件になっているが、具体的な根拠として許容される範囲が明確か疑わしい。例えば、「生徒指導担当の織田先生が難色を示しているので、提案は却下されるだろう。」は「具体的な根拠」と認められるだろうか?もう少し踏み込んで「生徒指導担当の織田先生が安全確保の点から難色を示しているので、提案は却下されるだろう。」ならどうなるだろう?安全確保という単語は入っているが、安全確保の具体的な内容は記載されていない。こうした根拠記述の幅に採点者がどれだけ対応できるのかが非常に疑問である。

 

これは揚げ足取りだが、そもそも青高には、午前7時と午後6時に交通量がピークになって、歩道も確保できず、学生が集団で登下校すると安全上問題になるような道しか、通学路として確保できていないという設定は本当に自然なのだろうか?

 

補正について

結果報告の中では、検収作業や再検収作業で採点基準の明確化にともない補正した答案例がいくつか挙げられている。これらの答案では、設問で指定された形式への合致に疵があるが、概ね内容的には正答とみなせそうな答案がかなりあるように見受けられる。こうした答案をチェックする作業はかなり膨大になると予想され、やはり採点作業の困難さを指摘せざるをえない。(なお、実際には、これらの例の挙げ方もよくない部分がある。疑問箇所はわかるのだが、そこの判断を変更しても結局政党の基準に該当していないような例が多いのである。)

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まとめとおまけ

ここで見てきたように、出題者側が問題文の中でかなり解答の方向性や形式を限定しようとしても、そのやり方が結果として曖昧だと、解答にかなりの幅がでて採点が難しくなると考えられる。今回の試行調査の問題は、解答を限定するやり方が不十分すぎると思われる。また解答字数が多すぎるために解答に幅が出てしまって採点が難しくなっているようにも見える。にもかからず、数学の場合と同様に採点基準は非常に狭く、そして杓子定規に適用されてしまっているように見えるし、数学に比べて国語の採点基準や答案に対する判断の根拠が不明確になりやすい。ここでも採点上の制約から部分点などのグラデーションを付けることが難しいという事情がある。今回のような50字や120字で部分点の判断を要求すると採点者にはかなりの負担がかかるし、よほど明確な正答が決まるものでない限り、多数の採点者が同一の基準で部分点を出そうとしても採点がブレて不公平に陥る危険が高い。そのために採点基準を過剰に狭く採り、正答か誤答かの二択で採点してしまうと、かなり明確にかけている答案でも誤答扱いにされてしまって適正な評価を得られない危険もある。

 

と諸々指摘してきたわけだが、生徒会の規約とか部活動をどうするとか、そういった文章を読ませて、いろいろ書かせるという問題、正直って、内容的にくだらないと思いませんか。現行のセンター試験でも、古文や漢文の扱いはどうかとか小説を読ませるのはどうかとか、逆に、契約書や操作マニュアルのようなものを読むことを取り上げることを称揚したりする意見も確かにある。しかし、出来上がった問題がこういう問題だと、内容的にあまりにもくだらないと思うのは私だけなのだろうか...。こういう問題が大学入学共通テストの問題として本当にふさわしいのだろうか。記述式試験の導入を推進する人たちは、本当にこういう問題を適切だと思うのだろうか。