この事案を拡散していいのか懸念がある

 宮川 剛 氏が自身のtwitterで、採用内定を取り消されかけている事案に関する情報を公開している。

togetter.com

一般企業では内定取り消しは大きな問題であることは疑いの余地はないが、今回宮川氏が報告している事案は、大学関係の人事問題であり、経緯を詳細に見れば、一般企業における内定取り消し問題と同列に扱えるものか、またこの事例をもって大学の労働環境を論難したり、拡散して大学当局に翻意を促すことが適切なのかどうか、少なくとも私には疑問の余地がある。以下、雑多ながらいくつか列挙する。宮川氏はいくつかの点でもう少し丁寧に説明するべきだと考える。

 (なお、筆者は宮川氏が報告している事案とは一切無関係な第三者であり、しかも以下で書くことは、一般的なことなので、今回の事例に完全に当てはまっているという保証はないし、すべての大学で同じように事が行われているという保証もない。)

 

宮川氏による経過の説明をtwitterから抜粋する。

面接の後、人事委員長で学科長かつ応募書類の宛先になっている教授から電話で「先生に来ていただくことが決まりました。いらしてもらえますね?」と連絡があり、「はい、もちろん。喜んで」と回答。別の人事委員の教授より「桜が咲いているようです。正式な連絡、お待ち下さい。」とも

その二日後、その学科長の先生より「今回の当学科の人事にご応募いただき、ありがとうございました。すでにご連絡いたしましたように、先生に来ていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします。」と電子メールにて連絡。その後実際に当事者が大学を訪問し、複数の先生と各種打ち合わせ。

その際に、他の複数の教授やポスドク・院生などに、XX先生の後任でいらっしゃる◯◯先生、と紹介され挨拶&世間話。学科事務室を訪問し、同様に紹介・挨拶、時間割、実験演習テキスト、建物内部の図面などをもらう。研究室採寸などし、教科書の第何章から何章までが講義の割当かの指示を受ける。

別の教授に交替し、学科で使われる共通施設や研究設備などをかなりの時間をかけ紹介・案内をしてもらう。そんな感じでありますので、客観的にみても内定が明確に成立していたことは間違いないところです。

着任日までそれほど期間がなく、当事者は具体的に研究室の引っ越しの準備を種々の点で開始しました。当事者は、幸か不幸か大型の研究費を複数取得したばかりで、かなりの人の雇用をその前年に開始してしまっていました。ですので、異動後、多少の間は、現雇用先と兼任をさせてもらう必要がありました。

研究費での被雇用者のことや研究環境の即時の移動の困難さ等から、しばらく兼任をせざるを得ない旨は応募時・面接の際に説明し、了承を得ていました。内定通知のメールにも「また、兼務については、人事係によりますと、◯大本務であれば、本学としては通常の手続きでできるようです。」との記載あり。

異動について現所属の学長・学部長に相談。当事者はその先生方と関係良好で高く評価されていたため「兼任するのであれば、こちらからで人件費を一部負担しますよ。打診してみてください」と提案される。当事者は、その学長の案を、双方、win winと考え、異動先の学科長に提案したのです。

そうしたところ、そのような形態の提案を直接の理由として、「今回の人事選考を白紙にもどす、という判断に至りました」という連絡を受け、内定が取り消されそうになっている、という次第です。

 もう少しよく話を聞いてみると、実際には、当事者の研究規模が大きすぎてその大学のその学科には「収まりきらない」という意見が出たこと、その研究規模の大きさと兼任などから当事者が教育業務や委員会活動、入試業務などを十分に行わないのではないか、という懸念が出されたことが背景の原因のよう。

あと、委員からは、この当事者は、その大学・学科の研究環境に満足ができず、すぐ他に異動してしまうのではないか、という懸念も示されたことも、その内定撤回の理由の一つとしてあるとのことでした。

要は、その当事者の研究規模が大きすぎて、スペースをかなり使われてしまうかもしれないこと(そこの大学の学科では取得研究費の額によってスペースのサイズが変わります)、その他雑用をあまり負担してもらえなくなるかもしれないこと、などが深刻に懸念されてしまったようです。

米国の大学・研究機関では、普通、優れた研究成果を出し、大きな研究費を取得することができた研究者には大きな間接経費がついてきて、それがその大学・学科などの利益になります。ですので、そのような研究者は優遇され、取り合いのような具合になります。しかし日本ではこの状況は随分違うんですね。

まず間接経費割合が米国に比べると少なくメリットが少ないことに加え、(これは大学・学部などにより異なりますが)間接経費のほとんどが中央に取られてしまうんですね。加えて、日本では教育研究以外の業務(各種委員会、入試などのいわゆる「雑用」)が膨大ですが、それを教授等が行う必要がある。

すると、同僚となる教員(人事委員の先生方)には、できるだけ、そのような研究以外の業務をきちんとこなすような人材が好ましい、という方向性になりがちになってしまうわけです。スペースもあまり取られても困りますし。間接経費は中央に行くのでメリットはないわけですし。

 

「学科委員会教授会」での投票が終了したところまでだそうです。その大学としては、事務的な最終決定までは、あといくつかステップがあったようです。その前にそのような連絡を出してしまったミスを学科長・人事委員長の先生はお認めになって謝罪されています。

 

人事委員長のお話では、その学部でそこで決まったこと覆った事例は20数年の間で記憶がないそうです。「(ほぼ)最終決定」が出るのは指示された着任日の1ヶ月ちょっと前(正式な発令はおそらく着任日)であることを考えると、内定をその前のある段階で出す実務的な必要はあると考えられます。

  

この件、もう一点、少し驚くことが。当事者は当初自ら調べて応募したわけでないのです。公募の締切終了後、「インパクトのある人がいなかった」ということで、その大学の人事委員たちが直接目ぼしい研究者複数に声がけをしたとのこと。当事者はその一人で、締め切り後に応募。そういう経緯でそれかと。

 

表に出ている主な理由は、給料が一部出る兼任を提案した、という点と、当事者の研究規模が大きすぎてその大学の学科には収まりきらず研究以外の委員会活動、入試業務などを十分にされないかもしれないという懸念、です。

 

私が考える疑問点は次の通り。

  1. たとえ事務的なものだとしても採用審査過程が完了していないうちは、結果が覆る可能性はある。そのことを十分に伝えなかったのは、大学の落ち度というよりは人事委員会の委員長の責任ではないか。しかもこの人事案件は、採用予定者の研究規模などもろもろの事情でやや特殊な状況であったようにも見える。
  2. 給与に関する採用予定者の提案が不明確である。前任校が「兼任するのであれば、こちらからで人件費を一部負担しますよ。打診してみてください」と提案するとあり、宮川氏も「給料が一部出る兼任を提案」と述べているが、これはどういう身分になるのかはっきりしない。採用予定者の本給を新任校と前任校で分担するという話なのか。専任教員の本給の支給の方法に差を付けるようなことが可能であるとは思えない。たとえば前任校で一定期間非常勤講師や特任教員扱いで時間給をもらうというのなら理解できる。何が「winwin」なのかよくわからない。優秀な研究者を人件費を抑制しつつ採用できるという意味なのかもしれないが、専任教員の給与は新任者だけ特別扱いはできず、大学全体の様々な事情によって決まるものである。採用候補者の給与をどのように取り扱うという提案だったのかはっきりさせない限り、この提案が妥当なものかどうか判断できない。
  3. 新任校を不用意に身構えさせるようなやり方にならないように注意を払うべきではないか。前任校から一定の給与を得たり、兼任で勤務したりすることなどは、採用候補者が新任校に十分な期間在籍してくれないかもしれないという疑念を抱かせる危険性はある。あとでも書くが、大きなラボを引き連れて異動したりすると、本人にやる気があっても、学内業務の分担に支障ができるのではないかという懸念はありえる。
  4. 兼任での勤務形態がどう考えられているのかはっきりしない。前任校にラボを残して兼任したり、人件費や給与を前任校が一部負担したりするような場合、採用後の勤務形態として週何日は前任校に戻るとか、前任校でもいろいろな業務を分担せよとか、様々な制約が付く可能性がある。新任校の側がそうした制約を嫌う可能性はあり、兼任ならばどのような勤務形態でも新任校が受け入れなければならないというのは無理筋に見える。
  5. 学科の人事委員会が大学全体の様々な制約や分担に無頓着なまま採用審査を進めてしまっているのではないか。宮川氏自身が述べているように、大学の研究用のスペースは獲得研究費に依存して決定される場合がある。それ以外にも、賞与や間接経費の配分、校費の配分、委員会や入試等の学内業務の役割分担、研究室受入学生の上限などなど、多くの事柄が学科のスタッフや当人の持つ研究費などによってきめられている。突出した研究費や突出したスタッフの数や突出した学生数を持つ教員が新任として採用された場合に、種々の分担のバランスが崩れる可能性が高く、それを大学側が嫌う可能性はある。本来人事委員会がそうした事情を考慮して、候補者面接を行うべきであり、今回の人事がそもそもそうした慎重さを欠いているようにも見える。
  6. そもそもこの人事は公募の考え方を逸脱しており不適切ではないか。宮川氏の報告によれば、「公募の締切終了後、「インパクトのある人がいなかった」ということで、その大学の人事委員たちが直接目ぼしい研究者複数に声がけをしたとのこと。当事者はその一人で、締め切り後に応募。」とある。公募に適切な人材の応募がなかった場合には再公募を行うべきである。それなしに、公募期間終了後に人事委員会の判断で声かけをして面接候補者を決めたとすれば、もはやそれは公募ではない。宮川氏は

公募に応募すること自体がかなりエネルギーの要ることですし、人生を賭けて抱負を書いたり、ヒアリングの準備したりするのは大変なことです。このようなエピソードで感じるのは、やはり研究者(とその家族・関係者など)は、世間(大学関係者含む)から軽く考えられているのかな、と。

と述べているが、それでは公募期限内に応募した応募者はどうなるのか。能力があったり、大きな研究費を持っていれば、公募締切後の声かけで面接候補に選ばれるというのなら、そもそものはじめから公募などするべきではない。一旦公募をかけた以上、その枠の中で適切な方法で候補者を選ばなければ、そもそも不公正だ。大学名がわかってしまえば、この大学は一見公募をかけていてもその裏で締め切り後に別の候補者に声をかけることもあるのだと認知されてしまう。いずれにせよ、もしこうしたことが事実なら、そもそも今回の採用審査そのものを白紙にし、公募からやり直さなくてはならないのではないか。宮川氏はこうした情報を公開することの重大性を適切に認識しているのか。

 

現時点では、以上の点から、私は、この問題を大学と被雇用者に関する問題一般として受け取ることはできないし、通常の一般企業における採用内定取り消しの問題と同列に議論できることだとは思えない。この事案を拡散していいのか懸念がある。

 

 注:なお、宮川氏から新たな説明があったり、上記の記事内容に不適切な部分があった場合など、随時更新する可能性がある。